おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ガキの他界やあらへんで

幕臣川村修富(かわむら ながとみ)の日記に、「大奥の女中に懐妊した人があり、例のように処理せよとの平岡美濃守殿のお達しがあり、自分の順番で取り扱った」という内容のことが記されています。

この平岡美濃守については、前回定信の危機一髪を機転で回避した人物で家斉の側近です。またこの時期の川村の役職は御休息御庭之者支配(ごきゅうそくおにわのものしはい)という御庭番の頭という立場であったことを踏まえると、家斉が側室にできない低い身分の女中に手を出してしまい、結果懐妊してしまい内々に処理した、という想像が成り立ちます。

江戸城富士見櫓

この「処理」というのが、中絶を意味するのか、出生後素性を隠したままどこかの家に養子に出したのか、そのあたりは定かではないですが、川村の日記には同じような内容の記載が6回あることと、「自分の順番」という記述から6回×何人の順番?という処理回数(2人なら12回、3人なら18回)があったかも知れません。

家斉の子として名前の特定できる数が53人いることは前回ご紹介しましたが、ほとんどが幼少の時期で亡くなっており、成年まで生きた子供は28人。生まれた時期を前半/後半に分けると、前半25人のうちなんと18人が夭逝しており、生残り確率は7/25⇒わずか28%に過ぎません。(ちなみに後半は28人中夭逝は9人 生残り確率は19/28⇒68%)

ドラマ「大奥」では、仲間由紀恵さん演じる治済が正室・側室の名前を騙って毒入りの菓子を贈り、子供を毒殺するだけでなく、お互いの疑心暗鬼と憎しみを煽る、というサイコキラーっぷりでした。仲間さんも「子供に見られちゃいけない役」とインタビューで語っておられました。

さすがに孫を間引きする、というようなことが日常的に行われていたとは考えづらいですが、それにしても幼児の死亡が多すぎ、という印象がありますが、次回以降はその理由(説)に加え、後半に生残り確率が大きく上昇した理由(説)についてもご紹介したいと思います。