おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

大坂の中心で 痛ぁい!を叫ぶ4

坂本鉉之助の記録で、彼ら奉行側の動きを時間順に追ってみましょう。辰半時といいますから、大塩決起から約一時間経った頃、月番だった坂本のところに、天満で火の手が上がっている、との報が入ります。その火が大塩の決起によるものだと知らされます。未明の密告のことなどは知らされていませんから、坂本も同僚の本多為助らもそれを信じようとはしませんでした。かつての同僚がそのような挙に及ぶとは信じがたかったのでしょう。

大塩勢は難波橋を渡り南下、鴻池家を攻撃します(大阪歴史博物館の展示)

とはいえ、役務上は対応しないといけません。与力・同心を総出動するよう触を出しました。また、鉄砲を持参し、跡部良弼のいる東町奉行に警備に行くよう命じられます。役宅に戻って鉄砲・火薬などを用意し、配下の同心30名を引き連れて東町奉行所に駆けつけました。

町奉行所は天神橋の南詰から南東に約200m、大阪城から見て西にありました。坂本らは跡部に誘われ、書院の庭に出てそこから川向う(北西方向)の天満橋一帯を眺めると、大阪天満宮が炎上しています。

乱の起きた旧暦2月19日は、西暦でいうと3月25日にあたり、書院の庭には梅の花がその香をただよわせていました。

梅の咲き誇る亀戸天神(文章とは関係ありません)

平時なら梅を愛でる余裕もありますが、戦時も戦時、川向うに火があがった状態です。坂本らは梅の木が視界を妨げ、敵情を見づらくなっているという至極もっともな理由でこれらの梅の木を切り倒すよう進言しますが、跡部は首を縦に振らないばかりか、一向に動こうとしません。

跡部はその後も動こうとはせず、書院で休憩し昼食をとる有様。時間も正午近くになりました。大塩らが難波橋を南下し、豪商たちを焼き討ちしている時刻です。

跡部が待ち望んでいた大筒の用意がそろい、東奉行所に持ち込まれ、やっと跡部も重い腰を上げました。

やっと反撃の準備がそろいました。この続きは次回で。