おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

大坂の中心で 痛ぁい!を叫ぶ6

放たれた銃弾は大砲方(砲手)の腰に当たります。東町奉行跡部良弼は、味方を鼓舞しまた周囲に奉行方の勝利を知らしめるため、従者に命じ、敵の大砲方の首をとり、槍の穂先に貫いて先に進ませました。(下の写真は赤穂浪士の行列のときのものですが、この時は生首を刺して進んだのでしょう)射殺された大砲方は梅田源左衛門といい、彦根の浪人でした。

大塩方に参加した一団には、大砲が心理的な拠り所だったのしかしが、操作する大砲方が打ち取られたことで、拠り所を失ったのでしょう、この一撃で総崩れとなり、その場に武器を捨てて逃げ出します。

槍の穂先に打ち取った首を・・

跡部良弼の落馬について調べたところ以下の文章がありました。

是日利堅の一隊は火事装束の下に着込を著したるに過ぎざりしが、良弼以下は甲冑を著したれば、挙動敏捷を欠けるのみならず、良弼の乗馬は異様なる行装に驚きて疾駈し、良弼地に墜ちて急に起つこと能はざりしといふ。

利堅の落馬と共に両町奉行一幅の失態といふべし。

西町奉行堀利堅たちが比較的軽装で出陣したのに対し、跡部たちは甲冑など重装備で素早く動けなかったばかりか、良弼の馬は周囲の異様な格好に驚いて暴走、落馬してしばらくの間立ち上がることができなかった。堀利堅の落馬と共に対の失態である。」

場所は定かに書かれていないものの、馬が格好に驚いたということは、出陣直前の時期でしょうから東町奉行所かその周辺でしょう。

大塩の乱で大阪の市街地の5分の1が焼けました(大阪すまいのミュージアム

一方西町奉行堀利堅も、平野橋より約150m北に架かる高麗橋を西に進んだところで大塩勢の旗印の白旗を目にします。堀の「撃て!」との掛け声で京橋組与力広瀬治左衛門配下の同心らが鉄砲を撃ちかけました。銃声に驚いた堀の馬が立ち上がり、そのまま落馬してしまったのです。

大塩平八郎の乱」事件名がものものしく、火事による被害も甚大でしたが、戦いらしい戦いはここで紹介した「平野町の戦い」「淡路町の戦い」の二つだけ、反乱自体は半日で鎮圧されています。死者も大塩側の3人のみでした。(鎮圧側は0」)

しかし大塩平八郎、格之助の親子は姿をくらまします。この続きは次回で。