おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

花は桜木、浪花節3

大阪の桜の名所として必ず挙げられるものに「造幣局の通り抜け」があります。江戸時代、この地には藤堂家(津藩)の蔵屋敷があり、敷地には多くの桜が植えられており、藤堂藩は春の桜の時期に屋敷を開放していました。藤堂藩というと、江戸の染井あたりの下屋敷の敷地でも樹木を育てていましたから、園芸に理解のある風雅な家風だったのでしょうか。

明治に造幣局が造られた際、敷地内の桜も受け継がれています。明治十六年(1883)当時の造幣局長遠藤 勤助(えんどう きんすけ)の発案により、この時期に一般開放されたのが始まりでした。

造幣局内 通り抜けの碑

その歴史ある造幣局の桜にも、何度か危機が訪れますが、それを救ったのが笹部さんでした。

大正から昭和初期、関東大震災で東京が大きな被害を受けたこともあり、大阪は日本一の大都市となっていました。(「大大阪時代」と呼ばれる時代です)この時期は重工業への転換期にあたります。工場から吐き出される煤煙によって造幣局の桜の一部が枯れてしまったのでした。

通り抜けの魅力はさまざまな品種の山桜・里桜を鑑賞できること

そこで桜の第一人者として知られていた笹部さんに白羽の矢が立ったのが昭和十一年(1936)のこと。植樹や管理を頼まれた元堂島生まれの笹部さんは、その依頼を引受けます。自らが持つ山林(宝塚の亦楽山荘)や苗圃(京都府向日市)で育てていた山桜・里桜や全国各地の桜をここへ移植するとともに、敷地内の弱った桜の保護育成にもかかわりました。

また、昭和20年(1945)6月の第4回大阪大空襲で、造幣局の約500本の桜のうち300本が焼失してしまいます。この時も翌年に自身が所有していた里桜約100本を提供し、翌昭和二十二年(1947)春に「通り抜け」は再開されました。

西宮市夙川(しゅくがわ)公園の桜

夙川をはじめとする西宮市内の桜の育成にも大きく関り、その縁で笹部さんの遺言により桜に関するコレクションは西宮市に寄贈されました。西宮市から寄託を受け白鹿記念酒造博物館で展示されています。

そして晩年の大仕事が「荘川桜」の移植ですが、これについては次回に。