ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。
私は関西で生まれ、学生時代も京都で過ごしました。関東にきて思ったのは、
えんまさまを祀られているお寺が多い
ということです。浅間神社自体、浅間山=長野県の山なのに富士塚?というのがピンとこないというのもありますが、富士山を模して塚を作る例を最初に知ったのが、今から三十数年前、品川神社の富士塚だったかと思います。
富士塚については、全国の富士塚を一覧化されて、いつも参考にさせていただいているサイトがありますので、ご紹介させていただきます。
fujisan60679.web.fc2.comこの項では、江戸時代に大きく広まった富士講の歴史や、首都圏で見て回れる富士塚についていくつかご紹介していきたいと思っています。
日本古来の山岳仏教は、修験道や山岳信仰と融合するように発達していましたが、戦国時代から江戸時代にかけて、「角行」という人物が富士講の開祖として知られています。藤原鎌足の子孫で長崎に生まれ、俗名は長谷川左近藤原秀武といったそうですが、その系譜はどこまで信ぴょう性があるのかは疑問です。
18歳で諸国への巡礼修行に入ったといいます。角行の墓は、何故だか駒込専修院(←
三月に「桜、咲くに見惚れる」で紹介した、伊藤伊兵衛の邸宅跡にあるお寺)にあります。
tadakaka-munoh.hatenablog.com全く案内板などがないため、境内を見て回ったのですが、お寺を入ってすぐ右側の墓碑がありました。
この角行を開祖として、富士講がどのように広まっていったのか、次回以降お話していきます。