おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

蘭学ちょっと始め2

扉を開くと、屋根に覆われた形でお墓がありました。

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平賀源内墓

平賀源内にちなんだ場所で、他に旧跡として伝わっている場所は、隅田川をずっと下った清洲橋の南東、にひっそりと碑が立つくらいです。

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平賀源内の電気実験といえば・・

平賀源内というと「エレキテル」を思い浮かべる方が多いと思いますが、wikipediaの「平賀源内」の項には、

江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。

とあります。これだけでもいろんな方面に才能があったことはわかりますが、いったいどんな業績を残したのか、ざっと述べていきます。

讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市志度)の生まれ、とのこと。余談ですが、源内の育った場所には、「ええ樹を養う~横綱の松」で紹介した善養寺のマツのライバル、「岡野のマツ」がありました。

tadakaka-munoh.hatenablog.com讃岐高松藩足軽身分の家に生まれた源内ですが、掛け軸に細工をして、酒を備えると絵の天神さまの顔が赤くなる「お神酒天神」を作るなど、子供のころから発明家の才能の片りんを見せていました。

二十歳の時に父の死により跡目を相続、後役ととして藩の蔵番となりました。四年後、長崎に一年間留学、本草学とオランダ語、医学、油絵などを学びました。そして留学を終えた後、藩の役目を辞し、妹に婿養子を迎えさせて家督を放棄してしまいます。

生涯を通じて束縛されるのを嫌った(ように思える)源内にとっての最初のステップでした。源内のその後については次回以降で。