おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

冗談は、寄席7

山岡鉄舟との出会いは明治十年(1877)のこと。圓朝と対面した鉄舟は、「今は亡き母が私の子供の頃、眠るときに『桃太郎』の話をしてくれた。今日はあなたに桃太郎を語っていただいて、亡母を偲ぼうと思う」と言い、圓朝に噺をせがみます。

圓朝は自慢の話術を尽くして桃太郎の話を熱演しますが、なぜか鉄舟は一向に喜ぶ気配を見せません。

「私の母は学もなく、話下手だったが、子供の私に母の『桃太郎』は心に染みた。しかしあなたの噺からはそれが感じられない。あなたは舌で噺を語っているから、肝心の桃太郎が死んでしまっている。」

圓朝もこの時期、世間に持ち上げられながらも、何か自身の噺に物足りないものを感じており、鉄舟のこの言葉は心に大きく響いたようです。

その後、鉄舟の下で禅の修行に励みます。

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谷中 全生庵三遊亭圓朝の墓

明治十三年(1880)のある席で、圓朝は鉄舟の前で何度目かの『桃太郎』を演じました。鉄舟は「圓朝さん、今日の話は良いね。真がある。」と褒めました。禅に励む中で「舌で語るのではなく、心で語る」ことに境地を見出したのでした。

鉄舟は同席していた京都天竜寺の滴水和尚と相談し、和尚は圓朝に「無舌居士」の法名を与えました。

圓朝の墓石には「三遊亭圓朝無舌居士」と刻まれています。この筆は生前鉄舟が圓朝に書いて与えた書を刻んだものです。

落語の話が続きます