おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

九月に花咲く彼岸噺

ちりとてちん」の主人公、喜代美が大阪に出てきたのが平成三年(1992)頃、そこからドラマ終盤で、草若一門のみならず上方落語会の悲願であった落語の定席「日暮亭」が完成し、翌年春喜代美の出産のシーンで幕を閉じます。

実際この「日暮亭」のモデルになった劇場は実際に存在しており、まさに大阪天満宮のすぐ前(後ろというのが正しいのか)に平成十八年(2006)9月15日にオープンした「繁昌亭」です。

天満天神「繁昌亭」

さて、落語の定席というのは、ほぼ年中無休で落語の公演を行っている場所、寄席のことです。
東京でいうと、新宿末廣亭、上野鈴本演芸場浅草演芸ホール池袋演芸場という4つの定席があります。落語の合間に漫才や奇術なども行われますが、あくまで主役は落語。漫才や奇術といった合間の演芸は「色物」として、演目は赤い字で書かれます。

新宿「末廣亭」の看板 演者の上の「落語」は黒字、「コント」「漫才」は赤字

大阪にもかつて落語の定席がありました。「芸のためなら女房も泣かす〜♪」の桂春團治(初代)などは大阪ミナミの法善寺の北にあった「紅梅亭」などを中心に活躍していましたし、吉本興業だけでも大阪に20余りの寄席を運営していました。

初代春団治 昭和九年(1934)56歳で亡くなりました

が、太平洋戦争の空襲でそれらの寄席が消失してしまったこと、また吉本興業が一時期演芸から撤退して、従来の寄席を映画館にしてしまったり、「角座」のような演芸場も漫才が中心になるなどして、落語は隅に追いやられてしまったのです。さらには戦前に活躍していた看板落語家たちが昭和二十年代後半に相次いでこの世を去り、一時は「上方落語は滅びた」と言われるほど危機的な状況にありました。

この項では、戦後の上方落語の悪戦苦闘と繁昌亭などについてご紹介していきます。