おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

テレ日是好日

東京オリンピック返上の翌年には第二次世界大戦が勃発、更に昭和十六年(1941)太平洋戦争が始まる中で、テレビジョンの研究は中断されました。高柳健次郎を含む開発チームは、海軍技師としてレーダーや暗視装置、電波兵器の開発に協力していくことになります。

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太平洋戦争 開戦の新聞記事(昭和館

すでに東京オリンピックが返上された昭和十四年(1939)には、アメリカとソ連の両国でテレビ定時放送が、昭和十六年(1941)にはアメリカで白黒テレビ放送の標準規格であるNTSC方式で放送が開始されました。開発中止で足踏みしていた日本は、大きく遅れてしまいます。

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太平洋戦争後、日本は統制経済へ(昭和館

そして、ラジオ放送の項でも触れたように、昭和二十年(1945)八月十五日に、日本はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏します。

戦争が終わったことで、高柳らはNHKに戻り、テレビの研究に復帰します。さらに戦争当時、海軍で一緒に研究を行っていた海軍士官30数名のNHKへの就職を決めていました。しかし、GHQは電波関連の公共での研究を一切禁止するとともに、軍部の仕事をしていた者が公共事業の職に就くことを禁じました。これにより、高柳やそのチームはNHKにいられなくなります。

公共の場での研究ができないのであれば、私企業で研究を進める他ありません。昭和二十一年(1946)七月、技術者二十数名と共に、高柳が入社したのは「日本ビクター」でした。

テレビの話、続きます。