東京タワー建設の話に戻ります。着工した昭和三十二年(1957)の白黒テレビの普及率は7.8%でした。テレビの小売価格は7万3千円。放送開始当初(17万5千円)から比べると半分以下になったものの、一般家庭にとってはまだまだ手の出せる値段とはいえません。関東一円にテレビ電波を飛ばすためにも、電波塔の完成が急がれていました。
昭和三十三年(1958)九月には、電波塔は253Mまで達します。あと残りは80M。この80Mは塔の先端に取り付けるアンテナ部分でした。
当初の予定では、アンテナは塔の中心部分を引き上げ、その後にエレベーターの工事を行うことになっていました。しかし、塔の組み立てが予定より少し遅れたことで、アンテナの引き上げ作業の完了を待っていては、エレベーターの設置が開業に間に合わないことがわかりました。といってもエレベーター工事を始めてしまうと、アンテナを引き上げるスペースが塞がれてしまうことになります。あちらを立てれば、こちらが立たず、という状況でしたが、工事関係者はエレベータの工事もアンテナの設置も進める解決方法を考え出します。その方法とは、
①エレベーター工事は予定通り工事を進める
②アンテナは塔の中を通さず、空中にワイヤーで釣り上げ、253Mの塔頂部分に設置し、そこで固定する
というものでした。ウィンチで釣り上げて操作する作業員の技術にかかっています。
このアンテナ工事が開始されたのが十月九日。その日は審査会において電波塔の愛称が「東京タワー」に決定した日でもありました。