「伏姫桜」の「伏姫」とは、江戸時代後期に滝沢馬琴(曲亭馬琴)によって著された読本の超大作、「南総里見八犬伝」の登場人物。冒頭で物語のキーマンとして登場するお姫様の名前です。
「南総」の文字が示す通り、八犬伝の舞台は南房総=安房国で、時代は15世紀中頃~末のお話です。弘法寺は千葉県の北西部、下総にあるので、特に八犬伝に所縁があるわけではないようです。しかし、安房を平定した里見氏は16世紀中頃までに上総・下総まで勢力を拡げ、この辺りも勢力下にありました。弘法寺の北西1.5KMのところには、その名も「里見公園」があり、公園内には国府台城跡や合戦場跡があります。
本来の舞台とは違えど、里見氏のイメージと八犬伝の中で美貌の姫として登場するお姫様の名前をいただいた、というところでしょう。
さて、この桜のある弘法寺には、「涙石」と呼ばれる石があります。「真間=崖」の上にある仁王門・本堂に向かう60段の石段のうち、27段目の左から二つ目の石だけが、晴れの日でも濡れて色が違っていることからこの名前があります。
この石に伝わる言伝えは次のようなものです。
日光東照宮の建設の時、というと、家康が亡くなったのが元和二年(1616)、翌年には社殿が完成しているので、二代将軍秀忠の時代です。日光東照宮造営のため、作事奉行の鈴木修理長頼が石材を伊豆から船で運んでいました。伊豆から市川を経たということは、行徳あたりの港から陸路を進んでいたのかと思われます。
運んでいる最中に石が突然動かなくなってしまい、やむなく長頼はこの石材を自分が檀家であった弘法寺の石段に使ってしまいました。しかし後日、この不正は幕府の知るところとなり、長頼はこの石段の場所で切腹します。それ以来この石は長頼の恨みによって常に濡れ、それゆえに「涙石」の名前がある、というものです。
ただ、この話は史実とは時間のずれがあって異なっているらしいのですが、それにしてもこの石だけが、というのは不思議です。
真間のいう地名は崖をあらわし、東京の西方面では「はけ」とも呼ばれます。崖の下には水脈があることが多いので、この石の真下のあたりが水脈とぶつかっていて、水が染み出ているのかも知れません。
弘法寺の建物は明治期に全焼、同じ明治年間に再建ということで、お堂などは決して古いものではないですが、石段や境内は古刹の雰囲気があります。
ソメイヨシノ、枝垂桜ときて、明日はヤマザクラをご紹介しようと思います。