水戸黄門として知られる徳川光圀は、水戸徳川家の第二代藩主です ドラマのように日本全国を漫遊したという史実はありませんが、領
当時この地は「板来」と呼ばれていたのを、光圀が「これからは潮
光圀がなぜそんなことを命じたのか、領内で聞きかじった話
鹿島にある潮宮(いたのみや、いたみや、とも)神社を訪れた際、
土地の者が答えるには、
「この地方では潮(流)のことを「いた」と呼んでおるのは、凪いだ時の潮の状態が板のように平面に見えることからです。更には水の流れが木目のように見えることから、古くから潮を“板”に
光圀はその答えがたいそう気に入ったとのことです。同じ領内である「板来」でそのことを思い出
すっかり地名の解説が長引いてしまいましたが、水郷の町である潮来は、昔からアヤメ(花菖蒲)で知られており、大正末期に観光用のアヤメ園が造られましたが、太平洋戦争の際に、食料調達のため水田に替えられてしまいました。堀切菖蒲園の周辺にあった他の菖蒲園も水田になった、といいますから、花よりコメ、という戦時中の国策に従ったといえます。
いったんアヤメが見られなくなった潮来の地に、再びアヤメの花が咲いたのが昭和二十五年(1950)のことでした。その話は次回に。