おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

押しかけて横浜5

起点の新橋駅には、前回ご紹介した旧停車場の遺構が残されていますが、初代横浜駅のあった桜木町駅には、開業時にイギリスから輸入された蒸気機関車5形式のうちの一つ、110型蒸気機関車が駅の南にある「CIAL桜木町ANNNEX」内に展示されています。

イギリス ヨークシャー社製 110型蒸気機関車

この一角は、「旧横濱鉄道歴史展示(通称・旧横ギャラリー)」となっていて、駅bの構内の展示と併せて、開業当時からの横浜や鉄道の歩みを知ることができます。また、この機関車は後ろに一両だけ、当時の中等車を引いています。

中等客車の車内 左右の座席と 正面に機関車の計器が見えます

「中等」とはいっても、両側に長いシートが置かれているだけなので、通勤列車のシートレベルにしか見えません。(背もたれが客車の壁面と一体化している分、座り心地は悪そうです)これより安い「下等」はどんなシートだったのか?クッションの部分のない、木のベンチシートくらいしか想像がつきませんね。

ここで、開業時の運賃をご紹介します。駅構内に当時の運賃表の展示がありました。

旅客運賃表(桜木町構内の展示より)

新橋~横濱間 上等1円 中等60銭 下等 30銭 となっていて、途中の駅は「品川」「川崎」「鶴見」「金川(神奈川)」の記載があります。仮営業の品川~横濱間の料金よりだいぶ安くなっています。(それでも庶民が乗ることのできる金額ではありませんが・・)

鉄道は大評判となり、開業翌年の営業成績は乗客が1日平均4347人、年間の旅客収入が42万円に貨物収入が2万円の計44万円でした。直接経費が23万円でしたので、利益が21万円残ります。明治六年度の国家予算の歳入総額が8,550.7万円でしたから、収入ベースで国家予算の0.5%あった計算です。物珍しさもあったかも知れませんが、相当な利益が上がっています。

さて、この稿では、新橋~横浜の開業以前に、すでに品川~横浜間で仮営業が行われていた、と紹介していました。なぜ正式開業ではなかったのか。思うに当時「品川は東京ではない」という共通認識だったためかと思われます。「蒸気機嫌で乗り乗り5」で書いたように、高輪の大木戸より南にある品川は、「江戸所払い」でいう江戸の領域に含まれていません。そのため、「東京と横浜をつなぐ」鉄道計画としては、これを正式に認めるわけにいかなかった、のではないかと想像します。

この路線はトンネルがひとつもなく、橋(木橋)の多摩川にかかる1つだけで、営業キロも30km足らずのものでしたが、次の大阪‐神戸間および大阪‐京都間の建設に大いにはずみがつく第一歩となったのでした。

鉄道開業の話は以上ですが、鉄道の話はいましばらく続きます。