おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

時を変える詔書(しょうしょ)

鉄道開業式典に先立って、神奈川県権令の大江卓は人々に、提灯行列への参加と家々の戸口に二年前国旗に制定された「日の丸」の旗を掲げることを呼びかけます。費用をかけられない中での苦肉の策でしたが、祭典は大いに盛り上がりました。

これが好評を呼び、政府は祝祭日の国旗掲揚を採用することになりました。

鉄道開業日以降、国民の休日国旗掲揚が行われるようになりました

今回のテーマの記述では、日付のところに新暦・旧暦と面倒くさい表示が続いていました。が、やっとその必要のない時がやってきました。

旧暦の明治五年(1872)11月9日、太陰暦(旧暦)を廃止して、欧米諸国と同じ太陽暦新暦)を採用するという詔書太政官布告として出されたのです。翌月の12月3日を以て翌年の元旦にする、という内容で、急な話に世間は大混乱しました。

改暦の理由の一つとして必ず紹介されることとして、太陰暦の場合には閏月があることで、月給を年に13回出さなければならないのを一月分減らし、更に12月3日を翌月にすることで、3日で終わった12月の月給も支払わなくて済む、という目論見があった、というのがあります。この変更を進めたのが、鉄道開業をリードした大隈重信です。

さて、この時にもう一つ、時間「定時法」の時刻制度の採用も決定しました。それまでの日本はというと「不定時法」が使われていました。「定時法」というのは、1日を24等分したのが1時間という考え方です。現在では至極当たり前の考え方ですが、かつての日本はそうではありませんでした。

1日を昼(夜明けから日の入りまで)と夜の2つに分け、それぞれを6等分した長さを一時(いっとき)あるいは一刻(いっこく)としました。昼夜が同じ長さであれば、12時間の6分の1=2時間ということになりますが、季節によって昼夜の長さは異なります。

大名時計の塔(千駄木) 大名時計は「不定時法」に対応していました

例えば。2022年の夏至、6月21日の日の出は4:26、日の入りは19:01なので、昼の長さは14時間35分あります。6等分した昼の一時は約146分、夜の一時は約94分となります。一方冬至12月22日では、昼が約97.5分、夜が約142.5分。

季節によって時の長さが異なるのを「不定時法」といって、ある意味人間の生活サイクルからするとこの方法にも合理性はあります。ただ、この方法は鉄道とは決定的に相性が悪いという欠点があります。「不定時報」では「時刻表」が成り立たないからです。出発時間も出発~到着までの時間も書きようがありません。

鉄道開業後それほど間もなく「太陽暦」と「定時法」の正式採用が決まったのは、至極自然な流れだと思われます。

これ以降、日本の鉄道網は全国に広がっていくのですが、まだ東京駅は建設計画すらありません。そのあたりの話は次回以降で。