おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

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この稿を書くにあたって、「決算!忠臣蔵」をアマプラで鑑賞しました。2019年に公開された映画で、山本博文さんが著された「忠臣蔵の決算書」を実写化したドラマです。

前回ご紹介したように、元禄十四年(1701)4月19日に完了しているのですが、藩士への分配金(映画では「割賦(かっぷ)金」=退職金と紹介されていました)などを払った残りを、「御家再興総予算」として表示します。その金額9491万円。

これは、二八そば=16文を480円として、1文=30円⇒4000文=1両=12万円で換算したものです。映画では、赤穂や京都から江戸に誰かが移動する度、その残金が減っていき、映画を見る側はその資金が底をつく前に討入りができるのか、こんなところで無駄遣いして、などとやきもきします。

大石内蔵助は赤穂を去った後、京都山科に住みました。そこから浅野家再興に向け色々と工作をしています。しかし、江戸にはお家再興よりも吉良義央の首を挙げることを優先する堀部安兵衛(武庸)をはじめとする急進派がいました。

彼らは、大石に仇討のために早く江戸に来るよう要請します。8月に吉良上野介江戸城の近く呉服橋から当時としては場末の本所の地に屋敷替えになったこともあり、「今こそ仇討を!」という機運が江戸で高まっていたのだと思われます。

吉良邸の一部は現在も本所に残されています(本所松坂町公園)

急進派をなだめるため、9月に3名、10月に2名を江戸に派遣し急進派を説得しようとしますが、2回とも堀部に論破され、逆に急進派の仲間入りをしてしまいます。ミイラ取りがミイラになってしまったわけですね。そのたびごとに移動費用が発生し、残金は少なくなっていきます。

10月ついに大石は江戸入りします。生涯二度の江戸入りのうち、これが最初の江戸入りでした。11月10日に堀部と会談した大石は、はやる堀部を抑えるためか、翌年3月14日に仇討をすることを約束しています。この日は内匠頭の一周忌にあたる日です。

会談を終えた大石は、再び京都に戻るわけですが、そこで取った行動は・・次回ご紹介します。