綱吉がこの世を去ったのは、宝永六年(1709)1月10日のこ
享年は「数え年」表記です。生まれた年(起点)の時点を「一歳」として、元日を迎えると「二歳」になります。大晦日に生まれた子供は、翌日には二歳になる、ということですね。一方、満年齢は生まれた時は「零歳」で、誕生日が来て初めて「一歳」になるのはご存知の通りです。数え年には「誕生日」という概念は無い訳ですね。
綱吉の生年月日と没年月日を表記します。漢字は旧暦、アラビア数字は新暦(西暦)です。正保三年一月八日(1646年2月23日)に生まれ、宝永六年一月十日(1709年2月9日)に亡くなりました。もうお判りかと思いますが、旧暦と新暦で満年齢が異なってしまます。福沢諭吉の誕生日は天保五年十二月十二日(1835年1月10日)なので、旧暦と新暦で生まれた年が異なり、伝記作家泣かせという話もあります。
福翁自伝などで「〇歳の時に~」と書かれているのに、年齢の計算が合わなくなってしまうため、作家が混乱してしまうのだそうです。
ということで、綱吉の死亡年齢には享年しか記されていません。
話がそれてしまいましたが、死因は麻疹(はしか)でした。その死から一ヶ月も経たないうちに、正室の鷹司信子が同じ麻疹で亡
庶民の夫婦であれば、一緒にいたことから引き起こされた結果であり、夫婦の仲の良さをあらわすよう