おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

もしも明日が羽仁ならば2

自由学園」の創立は大正十年(1921)で、そのネーミングはいかにも大正デモクラシー真っ只中の気風が感じられます。設立者は羽仁(はに)もと子、吉一(よしかず)夫妻。

この羽仁もと子という人は、朝の連続テレビ小説のヒロインになってもいいくらいのドラマチックな人生を歩んでいます。

報知新聞に掲載された「校正係」の募集広告を見て入社、自主的に書いた原稿が認められ、「初めての女性新聞記者」に。同じ報知新聞で政治記者の吉一と知り合い、明治三十四年(1901)に結婚します。

明治三十六年(1903)に若い家庭にむけて、家庭生活誌『家庭之友』を創刊、これが現在の「婦人之友」の前身です。

婦人の友 自由学園の紹介展示より

自由学園は「婦人の友」読者の子への家庭的な教育を目指して設立されました。三女が小学生の時に理想的な教育とは何かを考え、良い学校を作りたいと考えたのがきっかけのようです。

キリスト教徒かつリベラルな人脈つながりで、もと子はこの新たな学校の校舎設計を遠藤新に持ち掛けますが、遠藤はライトを紹介、ライト作の学び舎が実現するのです。

明日館正面、ホールの窓(2階から)

帝国ホテルの項で少しご紹介した「帝国ホテル建築物語」では、新ともと子の次のようなやりとりを記しています。

「子供たちの自主性を大事にしたいのに、そういう学校がないのです」

「それなら僕ではなく、ライトさんに依頼してはどうでしょう」

「まさか、そんな世界的な建築家の先生に、小さな学校の設計など頼めません。お金も限られていますし」

新は羽仁夫婦を帝国ホテルに連れていき、ライトに引き合わせます。

明日館の椅子・机 ライトのデザインで、帝国ホテルのものと似ていますね 

ライトはもと子の片言の英語での説明を聞いただけでその趣旨を理解、大いに賛同し、設計の依頼を受けたのでした。

帝国ホテルでは予算を大きくオーバーし、経営陣と対立したライトですが、ここでは夫妻の予算などに配慮した設計を行っています。その話は次回で。