おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

新(あらた)なるステージ(舞台)

明日館の真正面に講堂がありますが、こちらも重要文化財に指定されています。完成したのが昭和二年(1927)ですから、開校後6年が経ってからのことです。

明日館を引き継ぐような統一性のとれたデザインは遠藤新の設計。ライトが「我が息子」(my son)と呼ぶほど絶大な信頼を寄せた弟子です。その設計思想は確かに新に受け継がれています。

講堂の外観 外壁の色合い 窓の木組みなど、明日館を引継いだデザインです

また、明日館と同じく、中央に入口を作らず狭い脇から入って、中を高く広く見せる手法もライトらしさが感じられます。

講堂の入口 大谷石装飾も

さて、ライトの弟子とはいっても、帝国ホテル建築のために日本に置かれた設計事務所に助手として勤務したのが大正六年(1917)、ライトの離日が同十一年(1922)ですから、その期間は約5年。決して長い間ライトの右腕を務めていた、とは言えません。

遠藤新(えんどう あらた)帝国ホテル展示より

東京帝国大学建築学科の在学中から、ライトのことを本で知り、強い憧れの気持ちを抱き続けていたといいます。それがあってこそ、決して長いとはいえない期間に、遠藤がライトにそこまで信頼され、考えを受け継ぐことができたのでしょう。

大正二年(1913)、遠藤は林愛作と出会います。有名建築を見学するカリキュラムの一環として、帝国ホテルを見学したときのことでした。もちろん、まだライト館以前の建物だった時代です。その当時、帝国ホテル新館建築の計画は具体的に進んでおり、林からその新館をライトに依頼するという情報を得た遠藤は、その話を熱心に聴くだけでなく、林を質問攻めにして強い印象を与えたようです。

ライトが来日後、日本人スタッフを要望したときに、林愛作の頭の中に真っ先に浮かんだ人物は、遠藤であったに違いありません。大正六年(1917)1月8日、ライトに遠藤を紹介、それ以降遠藤はライトの設計思想をわが身に叩き込んでいきます。

次回も自由学園講堂と遠藤のその後を紹介していきます。