おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

そうだ、ライト行こう4

この稿では、和室の奥に続く洋室などの部屋の写真を紹介していきますが、写真につける解説以上の詳細な紹介分は書けません。なので文章では邸宅の施工主であり、持主でもあった八代目 山邑太左衛門がどういう「つて」でライトに設計を頼むことになったのか、などをご紹介していきます。

洋間に設けられた暖炉 左の照明器具もライトのデザインです

大正時代に「八代目」と名乗るからには、武士でなければ何らかの家業を代々継いできているわけですが、山邑家も阪神間に盛んな産業を営んできました。「酒造業」です。

現在も続く「櫻正宗(さくらまさむね)」のホームページによると創醸が1625年、当代は十一代目だそうです。創業、でなく「醸す(かもす)」創醸としているところに酒造業の心意気が伝わってきますが、1625年というと徳川三代将軍家光の時代。創醸当時はもう少し東の伊丹の地にありましたが、享保二年(1717)に神戸の魚崎に移って酒造専業となったこの年を「創業」としています。

机と椅子 いずれもライトのデザイン(復元)で、机の幾何学装飾が格好いい

ちなみに山邑酒造の山邑太左衛門と、同じ阪神間の酒造仲間「嘉納財閥」(本嘉納=嘉納治郎右衛門;と白嘉納=嘉納治兵衛;白鶴)によって昭和三年(1928)に設立されたのが「灘中学校」です。校是が「精力善用」「自他共栄」となっていて、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」をご覧になった方はわかると思いますが、これは「柔道の父」嘉納治五郎座右の銘でもありました。それもそのはず、嘉納治五郎は白嘉納=嘉納治兵衛の縁戚にあたり、灘中学校の顧問として参画していたのでした。

写真とは関係ない山邑家の紹介、時間も続きます。