田沼意次が家基を暗殺した、という説は、暗殺の動機として
・家基が田沼の政治に対して批判的な態度をとっていた
・田沼の息のかかった奥医師が投薬した薬を服用した直後、家基の容態が急変した
・将軍が代替わりすると自らの地位が危ういと考えた田沼が暗殺を企んだ
ということを挙げています。
しかし、田沼にとってみれば、九代将軍家重の「田沼を重く用いるように」という遺言が十代将軍家治からの信頼の源であり、家治から次代の家基にも同様の遺言が遺されることを望み、批判的な態度はとっていたにせよ家基が次期将軍となることに反対していたとは思えません。
その意味で家基の急死は田沼にとって良いことであったとは思えません。
一方で、この事件で一番得をしたのは一橋治済だったといえるでしょう。家重-家治ラインの男子は居らず、吉宗の血を引く御三卿(田安・一橋・清水)の中で男子がいたのは一橋家のみで、これにより治済の長男、豊千代が将軍家の養子になることができました。この豊千代が後の十一代将軍家斉です。ドラマ「大奥」において仲間由紀恵さんが演じる治済が息子(豊千代)の身分を隠して人痘を受けさせ、成功したのち「これで田沼も用済みじゃの」とつぶやくシーンがありました。
史実では豊千代の養子縁組成立には田沼も治済とともに工作していたので、このセリフは息子を将軍の世子に就けることに成功したつぶやきと重ねることができそうです。
田安定信(松平定信)を白河の地に追いやり、将軍の跡継ぎに我が息子を置き、意次の政権を継承するであろう意知を亡き者にし、後は家治がこの世を去るのを待つ(しかも「大奥」では奥医師に命じ毒を盛っていました)という流れを見ると、一連の黒幕は一橋治済しかあり得ないように思えます。
次回ではこの治済とこれらの事件に改めて触れていきます。