おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ガキの他界やあらへんで5

ドラマ「大奥」で、仲間由紀恵さん演じる一橋治済が家斉に毒を盛ろうとします。狂っていたはずの御台(後の広大院:連佛美沙子さん)と大奥総取締役となっていた元側室お志賀の方(・滝沢:佐津川愛美さん)との共謀で、治済の企みは自分に跳ね返るのですが、原作を未読の方はハラハラするシーンだったと思います。

大奥の中で繰り広げられたドラマ、目が離せませんでした

家斉の御台所は以前ご紹介したように薩摩藩の姫君。輿入れする際に近衛家当主、近衛経熙(このえ つねひろ)の養女となっています。姫君としての名が「篤姫」(他に茂姫、寧姫名称とも)といい、後に天璋院が同じく薩摩から十三代将軍家定に輿入れする際、あやかって「篤姫」を名乗っています。

ドラマのように狂ったふりをした史実はありません。が、実はこの前後、京都の御所においてはもとになったのでは?と想像させる出来事はありました。第119代光格天皇の皇后(中宮)欣子内親王(よしこないしんのう)のエピソードです。

京都御所の鬼門にあたる「猿が辻」

欣子内親王は第118代後桃園天皇の唯一の子女、つまり忘れ形見でした。寛政六年(1794)に中宮となり、その6年後の寛政十二年(1800)に温仁親王(ますひとしんのう)を生み、王位継承者と定められますが、生後約70日でこの世を去ってしまいます。それから16年経った文化十三年(1816)、第七皇子となる悦仁親王(としひとしんのう)を授かります。文政四年(1821)に親王の位が授けられましたが、その2日後に夭逝しました。

授かった2人の男子を失った欣子内親王は心を病み、御所を彷徨い出て後桜町院(第117代後桜町天皇女性天皇内親王の大伯母にあたります)の怒りに触れたという記事が残されています。やんごとなき子女が夭逝する出来事は、江戸幕府だけではなかったことがうかがい知れます。

ちょっと家斉の話から外れてしましましたが、次回も家斉の話が続きます。