おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

貸した金返せよ~♪ 借金大名

今池鴻池家が本格的に大名貸を行ったきっかけとなったのが、岡山藩池田家の蔵元(くらもと)・掛屋(かけや)の双方を任されたことでした。

後楽園からの岡山城天守

蔵元というのは、文字通り蔵の元締役。大坂には各藩の年貢米などを保管するための蔵がありますが、蔵の中のもの(蔵物:くらもの)を保管・管理するだけでなく、換金する業務も行います。委任元(雇い先)である岡山藩の利益となるよう、相場勘を働かせタイミングを見はからって高く売ることが求められます。

掛屋は蔵物を売った代金の保管・管理と、求めに応じて金銭を国元や江戸に送る(為替小切手の形で)仕事です。岡山藩に続いて、広島藩の掛屋も務めました。

つまり、藩の産物の換金と資産管理の双方、つまり財政を任されたわけですが、藩との関係が深くなり、藩の手元資金が不足した場合などには「前貸し」することも発生します。これが「大名貸」となっていきます。

三代目善右衛門のときには、大名貸の相手となった藩の数は32にも達しました。最大の大名である加賀藩前田家、熊本藩細川家などの西国の外様大名だけでなく、尾張紀州といった御三家の一部までもが名を連ねています。各藩から「藩士」としての待遇を受け、俸禄を得ているのですが、この時期の各藩からの俸禄を合わせると一万石を越えていたといいます。。

千両箱(造幣博物館)

大名貸しの利息は年10~12%位といいますから、その利益は大きなものでした。ただし、藩が改易になって取り潰されたり、踏み倒されることもあり、決してリスクのないビジネスというわけではありません。そういった危機管理にも優れていたのでしょう、三代目善右衛門宗利(むねとし)の代に今橋鴻池家は最盛期を迎えました。

さて、この宗利、新たな事業を始めるのですが、この話は次回に。