田沼意次は前回ご紹介したように、小姓として抜擢され、亡父意行の禄600石を継いだのが15,6歳の頃で、そこから40年足らずで大名となり俸禄は最初の100倍近くに膨れ上がりました。大名となると家来を雇わなければいけませんが、浪人や農民出身の家臣が多く、その出自で家老職を務めるなど、他の伝統的な藩とは異なった斬新な人材登用を行ったことが知られています。
有能な人材を好んだ意次が、源内のことも気に入ったと思いますが、家臣にしようとした形跡はないようです。源内も高松藩に仕えるのを辞めた時に「仕官お構い」となっていましたので、旧藩主の許しを得なければ他藩は召抱える事ができない立場でした。
意次の威光で働きかけはできたかも知れませんが、この時代でも自由人として生きようとした(ているように見える)源内にとって、仕えて縛られるのはまっぴらだったように思います。
源内も鉱山開発を目的として国内を巡っていますが、意次はさらに遠く、蝦夷地の開発に向けても取り組み、調査隊を派遣しています。
こうした幕府の伝統的な政策である「重農主義」に対し他の産業を興し「重商主義」的な政策は。守旧派的な一派から大きな反発を受けます。ただ、田沼時代だけが賄賂が横行したわけではなく、意次に対する収賄の悪評は、政敵が意図的に流したものもあり、割引は必要だと思います。
反田沼派の代表といえるのが、白河藩藩主、松平定信です。ドラマ「大奥Season2」では安達祐実さんが演じ、吉宗と同じ黒の衣装で意次と対峙していました。次回はこの「松平定信」についてご紹介していきます。