おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

伊能忠敬を育てた町 佐原2

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。昨日の続きです。

 

佐原は江戸時代、水運で栄えた河港商業都市です。東北地方の物資の通り道だったんですね。
「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町、江戸まさり」当時の佐原をあらわした言葉です。今では想像もつかない、賑わった街だったのでしょう。


写真でご覧いただけるように、街なか行き来するために舟着場がたくさん設けられています。

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船着場 2月後半に訪れるとひな人形が飾られていました


今でも観光遊覧船が運行されていて、手漕ぎの和舟で街を案内してくれます。伊能忠敬旧宅のすぐ前が遊覧船のスタート場所になってます。

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伊能忠敬旧宅前の船着き場


題名が「育てた街」となっているように、伊能忠敬が生まれたのは佐原ではありません。
延享二年(1745)現在の九十九里町で生まれた忠敬の幼少期は親戚や知り合いの間を転々とし、辛いものだったという説が広く伝えられています。(そうではなかったという説もあります)

宝暦十二年(1762)、17歳のときに、当時佐原村の酒造家、伊能家の跡取りとして婿入りしました。当時の伊能家は、跡取りの男子が短命で、家業も縮小傾向にありましたが、忠敬は経営能力もあったのでしょう、家産を拡大、佐原村の名主としても大きな業績を残しています。

佐原の話、まだ続きます。

お付き合いいただきましてありがとうございました。