おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

梅を天に任せる3

客は「千両ばかりの金、当たってもしようがないから嫌だ」といいますが、主人は「まあま、そうおっしゃらずに、助けると思ってお願いします」と頼み込むと、「そこまで言うなら買おうじゃないか、いくらだ?」と客。

「一分でございます」

「一分?一分ってのはどんなお金?ああ、よく小判の釣りだってんでくれるやつね」

といって袂から取り出して一分金を払うと富くじを買い取って「当たったら半分あげよう」と約束します。

実はこのお客は貧乏人で、払った一分は最後のなけなしのお金でした。翌日、お客は「ちょいと出かけてくる」と宿を出ます。

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椙森(すぎのもり)神社(日本橋堀留町)を舞台とするバージョンもあります

さて、場面は湯島天神の境内。(主役のお客の視点から離れて)抽選を待つ見物人たちの「当たったらどうする?」という見物人の話で盛り上がった様子が演じられます。ここの騒ぎのくだりも、妄想が独り歩きしていて笑いを誘うところです。

ここで落語から少し離れて、千両とか一分とか、江戸時代の通貨についてご紹介をします。日銀貨幣博物館HPによると、江戸時代は金貨、銀貨、銭貨の三種類の貨幣が使われており、金貨(小判)については、一枚=一両を基準として、それ以下を四進法の単位で表して(一両=四分=十六朱)いました。つまり、客が主人に支払った一分金は四分の一両ということです。

あとは、一両の価値が現在においてどのくらいか、ということですが、これがなかなか難しい。江戸時代後期あたりで考えると、米価換算で約四万円、大工に賃金で換算して一両=三十~四十万円、そば代金では一両=十二~十三万円ということです。

少々乱暴ですが、一両=十万円とすると、富くじの一等賞金は一億円、富くじ一枚の値段は二万五千円となり、ジャンボ宝くじ一枚三百円に比べてずいぶん高いような気もします。(販売枚数そのものの規模が違うので当然かもしれませんが・・)

さて、宿を出た客がぶらぶら歩いて湯島天神の境内までやってきます。くじに外れた人たちが、そこら中に破り捨てたので辺りが散らかっています。そういえば富くじの抽選があったんだっけ、どうせ当たりゃしないだろうと、当り番号の貼りだされたのを見たところ・・・