「大奥Season1」終盤で吉宗が家重を後継に決定するまで、妹の宗武(むねたけ)が聡明であったため、周囲でも後継を期待し、宗武本人(演:松風理咲さん)にもその気がありました。が、結局吉宗は家重を選択、宗武はわだかまりを持ちながらそれに従う、というシーンがありました。
享保十五年(1730)宗武は江戸城田安門内に邸地を与えられ、翌十六年にはその邸宅に移り住んでいます。これが御三卿のひとつ田安徳川家の始まりです。
史実でも宗武は家重との継嗣問題がもとで、ずっとぎくしゃくした関係でした。延享二年(1745)に家重が第九代将軍となると、「三年間登城停止」という処分を受けています。その後登城を許され形式的な和解は果たされたものの、家重宝暦十一年(1761)、宗武は明和八年(1771)、両者は兄弟の対面を行うことなくこの世を去っています。
松平定信はその宗武の七男として宝暦八年(1759←12月生まれのため西暦では年が代わっています)に生まれ幼名を賢丸(まさまる)と命名されました。幼少の頃、田安家の屋敷が火事で焼けてしまったこともあり、江戸城本丸に住んでいたことがあります。
その頃から聡明で知られており、田安家を継いだ兄の治察(はるさと)が病弱であったことからその後継と目されていました。将軍に後嗣がないときは御三家および御三卿から選ばれるので、定信には将軍後継となる可能性もあったわけです。
父のこともあって、定信自身にも将軍への野心はあったと思われますが、その望みが絶たれる出来事が起こります。白河松平家藩主の定邦(さだくに)が自家のの家格を上げるため、徳川一門から養子を迎えることを幕府に工作し、結果安永三年(1774)に定信が養子となる幕命が下ったのでした。時に定信は17歳でした。この時期田安家ではその養子縁組に反対していたのですが・・定信と将軍家周りの話が続きます。