おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

礼賛と塩対応

この度の震災の被害に遭われました皆様に心よりお見舞い申し上げ、一日も早い復興を祈念いたします。

さて、ドラマ大奥では触れられませんでしたが、原作コミックには家斉は臨終の前に次のようにつぶやいています。(一部抜粋)

 わしは女職に溺れ 幕府の財を 使い果たした 無能な将軍として 一生を終わる

 それで 良いのだ

実際にそのように評されている家斉ですが、大奥では相当美化されています。(赤面疱瘡を撲滅した名将軍ですから)そのあおりを受けたのが次代の家慶(演:高嶋政伸さん)で、ずいぶんとひどい様に描かれて気の毒な限りです。(なかなかの顔芸)

幕末の武士の歴史認識や思想に大きな影響を与えた頼山陽(らい さんよう)の「日本外史」では家斉について以下のように述べています。

「足利氏以来、軍職に在りて太政の官を兼ぬる者は、独り公のみ。蓋し武門の天下を平治すること、是に至りてその盛を極むと云ふ」

頼山陽像(広島市頼山陽史跡資料館)

「軍職に在りて太政の官を兼ぬる者」というのは、征夷大将軍でありながら太政大臣の位に就いたことを表しています。他に二つの職位に就いた人物は、足利義満徳川家康、秀忠がいますが、いずれも征夷大将軍を退いた後のことで、兼任というのは家斉が初めてかつ唯一でした。

「是に至りてその盛を極むと云ふ」表面的には賛辞と取られる表現ですが、歴史学者はこの表現は「坂の頂点から下っていく」ことを暗示したものと解釈しています。

頼山陽天保三年(1832)にこの世を去りますが、その翌年から天保十年(1839)まで「天保の大飢饉」が続きます。その飢饉の最中、天保八年(1837)2月、山陽と親交のあった人物が大坂で大騒動を起こします。

その人物の名は「大塩 平八郎」といいます。この続きは次回に。