おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

「舟を編む」とヅーフと日葡辞書2

蘭学の歩みについては、過去「蘭学ちょっと始め」等で触れました。全く辞書(蘭和辞典)の無い時代に、一冊の医学書を翻訳・出版(解体新書のことです)する苦労は想像を絶するものがあります。

蘭和辞典を作ろうとする試みはすでに18世紀中頃にありました。八代将軍吉宗の時代に長崎で通詞を務めていた西善三郎という人が取組んだものの、途中で病没、未完成に終わっています。元となる単語と日本語の解釈はそれなりに集めたものの、集めた単語をアルファベット順に並べるのに多大な労力が必要で、彼の死もそれが原因とも。

蘭学階梯」(らんがくかいてい) これは入門書であり辞書ではありません

次にトライしたのは、「蘭学階梯」を著した大槻玄沢(おおつき げんたく)の弟子、稲村三泊(いなむら さんぱく)達でした。フランソワ・ハルマが編纂した「蘭仏辞書」を活用します。フランス語を学んだわけでなく、すでにアルファベット順に並んだオランダ語の単語にに日本語の解釈をしていくことで、西善三郎が越えられなかった壁を乗り越えたのです。この最初の蘭和辞典が「ハルマ和解(はるまわげ)」、別名を江戸ハルマ、といいます。寛政十年頃といいますから、18世紀の終わりに世に出されました。

いっぽう、「ヅーフ・ハルマ」が世に出たのは天保四年(1833)ですから、「ハルマ和解」より30数年後のことです。オランダ商館長ヘンドリック・ヅーフ(ドゥーフ)に長崎の通詞たちが協力して作られたところから、「長崎ハルマ」の別名があります。

「ハルマ」が共通していることからわかる通り、こちらもフランソワ・ハルマの「蘭仏辞書」が元ネタ本です。

大変高価なもので、写本を作って広まった本としても知られます。

勝海舟胸像(大田区勝海舟記念館)

勝海舟は年間10両で借り、写本を2冊造り、1冊は30両で売って借り賃と生活費に充てたことが有名です。あとの1冊はもちろん自分用で、海舟はこの辞書を生涯愛用したと伝えられます。

まだ辞書の話が続きます。

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