おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2023-01-01から1年間の記事一覧

九月に花咲く悲願噺 4

昭和三十二年(1957)4月の「上方落語協会」結成後、道頓堀にあった文楽座で協会主催の「土曜落語会」が始まり、その後「神戸寄席」「京都市民寄席」といった京阪神の都市での落語の定期公演もスタートしました。 落語協会結成とその前後の出来事(ワッハ上…

九月に花咲く悲願噺 3

昭和二十四年(1949)4月に、関西演芸協会が発足します。漫才師や浪曲師も含めた芸人全体の親睦団体ですが、そこに参加した落語家笑福亭松鶴(五代)、桂春團治(二代)を初めとして13名。後の「上方落語四天王」もその中に名を連ねています。 戦後すぐの上…

九月に花咲く悲願噺 2

更新した時間にはすでに日が変わっていると思いますが、この稿を書いている9月15日は、天満繁昌亭のオープンした日で、今年で17周年になります。繁昌亭の前に建てられた石碑にこの寄席が長年の悲願であったことが書かれています。 上方落語の歴史と「繁昌亭…

九月に花咲く彼岸噺

「ちりとてちん」の主人公、喜代美が大阪に出てきたのが平成三年(1992)頃、そこからドラマ終盤で、草若一門のみならず上方落語会の悲願であった落語の定席「日暮亭」が完成し、翌年春喜代美の出産のシーンで幕を閉じます。 実際この「日暮亭」のモデルにな…

想いを寄席る10

同じ噺を演ずることを「ネタ(根多)被り」といい、当然ながらタブーです。後の演者は、違う噺でもテーマやマクラが被るのを避けなければいけません。 袖で見ていた草原らは「おい、愛宕山は⁈」と大慌て。ライバルの噺家たちも「寿限無はさっき草々がやった…

想いを寄席る9

さて、第7週のトリの回=第42回は「神回」の呼声が高く、2019年のNHKが集計した朝ドラ名場面の堂々第一位(歴代朝ドラかつアンケート集計対象は全国です)に選ばれました。 「八百万の神回」などと突っ込みたくなる昨今の神回オンパレードですが、この回は神…

想いを寄席る8

三年前の一門会の日、草若は妻、志保(藤吉久美子さん)の病状を入院中の病院の主治医から告げられます。 「奥様はもってあと三か月、そう覚悟していただいた方が・・」 ショックを隠しながら病室に妻を見舞う草若、今日の演目を「愛宕山」であることを告げ…

想いを寄席る7

「上方四天王の真実」という暴露話っぽいセンセーショナルな題名にはなっていますが、それぞれの直系のお弟子さんに一門についての話を対談形式で聞く、という企画です。二昔くらい前(五昔くらいかも)の上方落語の空気を感じる事ができ、四天王をリアルタ…

想いを寄席る6

「上方落語四天王」の一人、故米朝師匠の一番弟子といえば(内弟子としては)、「爆笑王」故桂枝雀師匠(二代目)です。佐高信さんの「子弟 教育は出会いだ」には、木下恵介ー山田太一、井筒親方ー逆鉾など24組の師弟関係をから「本当の教育とは」を考察して…

想いを寄席る5

草々ら3人の弟子たちは、手始めに自分たちで落語会を開く算段(計画)を始めます。 その過程で上方落語には常打ち小屋(落語をメインに毎日興行を行う劇場のこと)がなく、上方落語の悲願であることが喜代美に(すなわち視聴者にも)明かされます。 草若宅…

想いを寄席る4

四人いた弟子のうち、一番弟子、すなわち草々の兄弟子にあたるのが「草原」(そうげん:桂吉弥さん→バリバリの落語家です)。落語をよく知っていて稽古では上手に話せるのですが、高座に上がると噛み噛みでさっぱり・・、三年前の一件以降落語家をやめ、ディ…

想いを寄席る3

東京では、講談か「笑点」の司会くらいしか見かけることのないこの3点ですが、落語が「辻噺」、つまり大道芸であった頃の名残だとされています。今でこそ、大道芸が寺社の境内や庭園で行われる際は一組の演者しかいませんが、当時はライバルがいっぱいです。…

想いを寄席る2

主人公の和田喜代美(わだ きよみ :貫地谷しほりさん)は、同級生で同名、才色兼備の和田清海(わだ きよみ :佐藤めぐみさん)にコンプレックスを抱き続ける少女時代を送りました。何しろ周囲の友達は、二人を「紛らわしい」と、人気者の清美をA子(えーこ…

想いを寄席る

「ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます」ブログのテーマ替わりの最初に使っているこの文言は、平成十九年(2007)後半の連続テレビ小説「ちりとてちん」のナレーションの上沼恵理子さんがその週の最初の回の冒頭に発する言葉を使っています。 再放送され…

新(あらた)なるステージ(舞台)6

自由学園の立場から文化財指定に対して積極的になれない理由がありました。それは文化財指定を受けることにより、修理費用などに補助金が出るというメリットの一方で、建物の使用など活用が制限され、自由が失われるデメリットを懸念したものです。 建物とし…

新(あらた)なるステージ(舞台)5

以前にご紹介した旧山邑邸(現ヨドコウ迎賓館)も、昭和四十九年(1974)に重要文化財に指定された約十年後、昭和六十年(1985)から約3年3ヶ月最初の修理工事を行っています。(もう一度、阪神大震災ののち、修理工事が行われました) その時に最も腐朽・破…

新(あらた)なるステージ(舞台)4

大正デモクラシーのリベラルな風潮を追い風に、自由学園は規模を拡大していきます。 昭和二年(1927)初等部を開設 昭和九年(1934)校舎を東京府北多摩郡久留米町(現:東久留米市)に移転 昭和十年(1935)男子部を開設 が、日本が国家主義的な方向に進む…

新(あらた)なるステージ(舞台)3

ライトと一緒に渡米した当時、遠藤は英語が苦手で、コミュニケーションをとるのに苦労していたようです。苦手といっても洋書を読むような、いわゆる「読解力」については問題ないレベルだったようです。 遠藤は福島県宇多郡福田村(現在の相馬郡新地町)の生…

新(あらた)なるステージ(舞台)2

林愛作からライトが帝国ホテル新館を設計する話を耳にしたのが影響したのか、彼の卒業制作は「bokuno hotel」(僕のホテル)。周囲が官庁など公共施設をテーマにしていている卒業生が多い中、特殊といってもよい題材をとりあげています。遠藤の卒業は大正三…

新(あらた)なるステージ(舞台)

明日館の真正面に講堂がありますが、こちらも重要文化財に指定されています。完成したのが昭和二年(1927)ですから、開校後6年が経ってからのことです。 明日館を引き継ぐような統一性のとれたデザインは遠藤新の設計。ライトが「我が息子」(my son)と呼…

もしも明日が羽仁ならば6

ドラマでは2階にある食堂に先に案内されて、明日館の案内者の方が羽仁夫妻の考え方を紹介しています。 「学校建築では珍しく、食堂が建物の中心にあるんですよ。羽仁夫妻は温かい食事を皆でとりたいということで、ライトにお願いしてこの食堂の部屋が建物の…

もしも明日が羽仁ならば5

中央のホールで幾何学模様の窓や椅子などと並んで存在感を示しているのが、「壁画」です。この別に名のある芸術家による作品というわけではなく、昭和六年(1931)学園の十周年を記念して、在校生と卒業生の有志の手で描かれました。 ホールの壁画 手前の椅…

もしも明日が羽仁ならば4

他に、天井や内装の意匠はライト自身の住宅兼スタジオのタリアセンのものを流用しながら、内壁は安い合板を使ってペンキを塗ってしまう、という工夫も行ったことを「帝国ホテル建築物語では紹介しています。 そして「大谷石」については次のように書いていま…

もしも明日が羽仁ならば3

ライトが羽仁夫妻の学校設立の趣旨に大いに賛同したのには理由がありました。彼のおば二人もまた、アメリカでホームスクールという学校の運営に熱心であり、しかもその学校の校舎を若い時代のライトが設計していた、といういきさつがあったのです。 フランク…

もしも明日が羽仁ならば2

「自由学園」の創立は大正十年(1921)で、そのネーミングはいかにも大正デモクラシー真っ只中の気風が感じられます。設立者は羽仁(はに)もと子、吉一(よしかず)夫妻。 この羽仁もと子という人は、朝の連続テレビ小説のヒロインになってもいいくらいのド…

もしも明日が羽仁ならば

同じライトの設計の中でも、自由学園明日館は学び舎であり、少し毛色が異なる気がしますが、基本的な理念を貫いた設計です。 まず外観。高さを抑え、横に広がったような姿は、帝国ホテルの正面とも共通します。 明日館模型 芝生の校庭を囲むデザインです ま…

そうだ、ライト行こう6

話は旧山邑邸に戻ります。帝国ホテルライト館が一部明治村に残されたとはいえ、大部分が取り壊され、新たな本館が建てられたように、この邸宅も一時は取り壊されそうになる危機がありました。 4階食堂の暖炉 他の部屋の暖炉とデザインがそれぞれ異なります …

そうだ、ライト行こう 番外編 帝国ホテル記念展示に行こう3

ドラマは安田顕さんが片腕の煉瓦職人である久田を熱演されていました。彼の記事を書くように依頼された女性ライターが久田の実像(本当に詐欺師だったのか)に迫っていくのですが、その女性ライターを元五輪フィギュアスケーターの村上佳菜子さんが演じてい…

そうだ、ライト行こう 番外編 帝国ホテル記念展示に行こう2

このブログでは、ライトの建築に多く使われた「大谷石」を紹介してきましたが、帝国ホテルで大谷石と並んで使用され、特徴づけているのが煉瓦です。ライトは建築にあたって鉄筋コンクリートの表面を覆う型枠兼仕上材として、黄色い煉瓦を使うことを考えます…

そうだ、ライト行こう 番外編 帝国ホテル記念展示に行こう

芦屋の旧山邑邸の紹介の途中ではあるのですが、ライトつながりで番外編を挿入させていただきます。 今年、ライト館が開業100周年を迎える、というので帝国ホテルでは記念展示を行っています。開業100周年ということは、関東大震災からも100年が経ったという…