おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2024-01-01から1年間の記事一覧

新田花実が咲くものだ5

宝永元年(1704)2月から大和川付け替え工事が始まりました。「公儀普請(こうぎぶしん)」といって幕府が工事費用を負担するのですが、前年から「手伝普請(てつだいぶしん)」として姫路藩主本多忠国(ほんだ ただくに)にほぼ半分を負担するよう命ぜられ…

新田花実が咲くものだ4

万年長十郎ですが、天和三年(1683)に畿内と丹波・播磨・備中の代官となりました。この頃、原則として町人による新田開発(町人請負新田といいます)は禁止されていたのですが、元禄年間に大坂川口の新田開発を認めています。新田からの年貢増加による経済…

新田花実が咲くものだ3

話を前々回に戻します。安治川が開削されたことと、少し上流の中之島近辺でも島の北側の堂島川を掘り下げることによって、南側の土佐堀川との分流を促したことにより、下流河口付近の流れは大きく改善されました。また安治川は大坂の水運を担う重要な水路に…

新田花実が咲くものだ~番外編:安治川隧道

前回安治川の写真を載せました。手前に大きく映っていたのが阪神なんば線の鉄橋、奥がJR大阪環状線の鉄橋です。この2つの鉄橋は300m強離れています。地図で示すとしたの地図のような位置関係になっています。 前回の写真撮影地は「南安治川通」地図の右端よ…

新田花実が咲くものだ2

前回「大和川の付替工事」についてご紹介する、と書いたのですが、江戸時代の大坂の治水工事の歴史をご紹介するにあたって、付替工事の20年前、貞享元年(1684)に行われた安治川(あじかわ)開削工事について触れておくことにします。 安治川 手前の鉄橋は…

新田花実が咲くものだ

「舟を編む」が第四話まで進みました。回を追って面白くなっていて、原作にはない岸辺みどり(ドラマの主人公:池田エライザさん)の家庭事情などもこれから描かれていくようで、先が楽しみです。言葉は生き物で変わっていくものですが、その変化にも歴史が…

貸した金返せよ~♪ 借金大名

今池鴻池家が本格的に大名貸を行ったきっかけとなったのが、岡山藩池田家の蔵元(くらもと)・掛屋(かけや)の双方を任されたことでした。 後楽園からの岡山城天守閣 蔵元というのは、文字通り蔵の元締役。大坂には各藩の年貢米などを保管するための蔵があ…

浪花ともあれ 先立つものは銀2

秤量貨幣(しょうりょうかへい/ひょうりょうかへい、とも)は現在社会においては、公式に流通している国はありません。江戸時代の金貨といえば小判を思い浮かべますが、銀の場合貨幣といっても丁銀は小判のような整った形ではありません。 江戸時代の銀貨(…

浪花ともあれ 先立つものは銀

慶長十四年(1609)に江戸幕府は金1両=銀50匁(目)=銭4貫文(4000枚)と定めました。これを御定(おさだめそうば)といいます。つまり金銀銭の交換比率を固定化させたわけですが、これが形骸化します。 というのも、江戸を中心とする東日本では金が流通す…

分かれても数奇な糸2

父新右衛門が大坂で起こした事業は、善兵衛秀成(次男)・又右衛門之政(三男)・善右衛門正成(八男)が引き継いでいますが、善右衛門が九条で海運業を始めたのが寛永二年(1625)とされていますが、その頃まだ二十歳前の若者です。父が大きくバックアップ…

分かれても数奇な糸

鴻池家の始祖、新右衛門(新六)は子宝に恵まれ、8男2女をもうけました。発祥の地、伊丹の酒造業を継いだのが七男の元英(もとひで)で、これが本家に当たります。他の子どもたちも六男が出家したのを除いてあとは分家をたてたり、他家へ嫁や養子に入る等で…

舟を呑む5

元和年間に大阪旧久宝寺町に店舗を出した鴻池新右衛門(新六)ですが、その約5年後の寛永年間には、西に4kmほどのところにある九条村にも拠点を持ち、そこで海運業を始めています。 さて、大坂の「九条」の地名。京都は北から一条から十条まで名称がありま…

舟を呑む4

菱垣廻船の模型など展示がないか、あったら見に行って写真を掲載しようと思ったのですが、結論としては、「見つからなかった」ので、「菱垣廻船」と並んで江戸時代の海上運送の主役となった「樽廻船」の写真を。いずれも「弁才船(べざいせん)」といわれる…

舟を呑む3

酒造業を成功させ、大坂に進出した鴻池新右衛門(新六)。諸説ありますが大坂城下の旧久宝寺町に店舗を開いたと伝わります。現在その跡を示すものは残っていませんが、町内に「銅座公園」が。このあたりに鋳銅や銅の取引を行う「銅座」があった名残でしょう…

舟を呑む2

力士の優勝祝いなど宴会の席で「菰冠」(こもかぶり)と呼ばれる「菰(こも)」を巻いた樽を使います。この樽の蓋の部分を木槌で割って封を開け、桝などで皆で祝杯を挙げる姿は、いかにも日本の祝宴といった感じですね。 「菰」というのは稲わらで作った筵(…

舟を呑む

本題に入る前に、先週から始まったBSプレミアムドラマ「舟を編む」の話を(この項の題名の元です)。2012年に本屋大賞を受賞し、2013年に映画化されました。今回のドラマは原作では脇役だった「岸辺みどり」(映画では黒木華さん演)を主人公に話が進んでい…

あっち行け、そっち行け、鴻池13

日本酒の作り方について8回かけてしまいましたが、始祖にあたる山中幸元の話に戻ります。彼が山陰の戦国大名尼子氏の家臣、山中鹿介(幸盛)の長男であり、尼子氏の滅亡後9歳で大叔父を頼って伊丹に流れてきたことはすでに述べました。 商いで身を立てるにあ…

あっち行け、そっち行け、鴻池12

風邪などのときに「アルコール消毒や」などと冗談をいいながら飲酒するのを見かけます。(私本人も経験者ですが)この効果のほどは期待できないとはいえ、アルコールに消毒効果があるのはコロナ禍を経験してきた私達のよく知るところです。原酒のアルコール…

あっち行け、そっち行け、鴻池11

⑧澱(滓)引き・濾過・火入れ ⑦の「搾り」によって日本酒の部分と「酒粕」の部分に分離されます。酒造りの盛んな阪神間灘地方では、新種の季節になると酒粕も出回ります。45年以上前に亡くなった祖父はトースターで酒粕を焼き、砂糖をふりかけて食べるのが好…

あっち行け、そっち行け、鴻池10

⑦搾り:発酵した醪(もろみ)はどろどろの白い液体の状態で、表面には無数の泡が出ています。これは、発酵によってアルコールができる際に炭酸ガスが発生するからですが、アルコール度数が10数%を超えてくると、盛り上がるような泡が次第に落ち着いて、表面…

あっち行け、そっち行け、鴻池9

⑥仕込み:ここのところの良さげな写真が見つからず、本日西宮にある「白鹿記念酒造博物館」に行ってきました。これまでご紹介してきた資料館等と異なり有料(この博物館と別棟の記念館と共通で500円)なだけあって、映像・音を含めて「これでもか」というく…

あっち行け、そっち行け、鴻池8

話は酒造りの過程の中の一つ、酛(もと)つくりに戻ったところで、高校時代の英語の先生から聞いた話を。(同じく酒どころ兵庫県西宮での話です)丹波篠山の出身の先生で、先生が言うには、丹波篠山の民謡「デカンショ節」の合いの手「デカンショ」なる言葉…

嗚呼、黄昏のとんぼよ何処へ2

日曜は上野方面へ。この時期は合格祈願の学生で参拝の列が続くのに加え、2月8日からスタートした(~3月8日)「梅まつり」が開催中です。梅園の梅は今が見ごろ、境内に続く坂のうち「女坂」の梅は遅はこれから見頃になりそうです。 湯島天神境内 梅が見ごろ …

嗚呼、黄昏のとんぼよ何処へ

鴻池家の話の途中ですが、この三連休、単身赴任先の大坂から東京へ、また大阪へのとんぼ返り。土日は都内で忙しく動き回り、本日は午後大阪に戻ります。 期間限定のイベントなど、この場でご紹介していくことにしました。 土曜日は新橋、パナソニック汐留美…

あっち行け、そっち行け、鴻池7

「酛つくり」の説明の前に、酒造りの行程で使用した写真撮影の場所について解説します。まずは伊丹の酒造りの資料館としての「伊丹ミュージアム」から。 伊丹市内にある「伊丹ミュージアム」はJR伊丹駅、阪急伊丹駅の双方から徒歩圏にあって、美術館や博物館…

あっち行け、そっち行け、鴻池6

生米のでんぷんだと発酵が起こりにくいので、蒸すことで、でんぷんに水と熱を加えてゲル状に変える(アルファ化)そうです。前回の写真のような羽釜だと、何となく米を炊くことを連想しますが、炊いても蒸しても米はアルファ化します。では、なぜ「蒸す」方…

あっち池、そっち池、鴻池5

「諸白」(もろはく)について説明する前に、日本酒がどういう工程で発酵するかを説明していきます。日本酒は御存じの通り、米から作られますが、 ①精米(せいまい):玄米から糠を取り除き白米にします。糠や白米でも表面に近い部分は雑味の原因となるので…

あっち行け、そっち行け、鴻池4

大坂今池の鴻池本宅のあった場所は、現在「大阪美術倶楽部」となっていますが、そのHPで「鴻池家の歴史」が紹介されています。 それによると、 大伯父に養われた山中新六幸元は15才で元服し、その後深く考える所があり両刀を捨て、商いで身をたてようと決心…

あっち行け、そっち行け、鴻池3

伊丹市の市域を地図で見てみると、東西と南北がそれぞれ5kmほど、面積を調べたらまさに25㎢でした。その市域の北西部、JR伊丹駅からは4㎞位離れたところにバス停「鴻池」があります。 まさに地名が「鴻池」 前々回ご紹介した山中幸盛(鹿介)の長男で山中…

あっち行け、そっち行け、鴻池2

JR駅伊丹駅のすぐ西側に石垣があって、階段を上ると礎石や井戸などの遺構があり、史跡公園として整備されています。南北朝から室町時代にかけ「伊丹氏」がこの周辺を統治し、室町時代には細川氏や畠山氏の被官、つまり配下にあったようです。 その後、織田信…